いずみの部屋

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放送テーマ

放送日
2018.07.13
テーマ
第87-88回 7/28,29は阿波踊りです。神奈川大和阿波踊り振興協会会長 岸 幸博さんです。
ゲスト
岸 幸博 氏(きし ゆきひろ)

対談内容

いずみ
まもなく大和阿波踊りの季節になります。
7月に入ると鳴り物が街角に聞こえるようになります。
各連の方々も練習を始めていらっしゃいますか?何連くらいあるのですか?
この日のために各連は一年中計画をして練習しています。大和だけではなく各地から応援に来てくれて、7月28日(土)は29連、7月29日(日)は32連が出場予定です。
いずみ
2010年から8年間、大和振興協会会長の5代目会長の岸さん。42回も続けてきた阿波踊りの歴史は大和の誇りですね。文化として根付いています。
近郊の方々が沢山「見る阿呆」でいらっしゃいます。
「踊る阿呆」の連は沢山あります。その中で踊り手、鳴り物、経済を支えるスポンサーの方々をまとめていくのは相当の苦労があると思います。
阿波踊りの歴史を聞かせていただきたいのですが、新橋通商店街が発祥だと伺いました。
私は「一心」という言葉でこのお役を続けてまいりました。
阿波踊りの発症は新橋連で、当時の猪熊会長が「何かやろう!」と言いだし、城南信用金庫の店長が阿波踊りを提案したのがきっかけです。
青年部40歳以下が40人以上おりました。道路は新橋通だけ通行止めにしました。路線バスは踊る連を避けて通行しておりました。
いずみ
踊り方はどなたが指導してくださったのですか?
高円寺の方々、そして徳島からもいらっしゃいました。
「手が逆だった」などご指摘が沢山ありましたが、新橋連として40人程度で発足しました。新橋連、高円寺、民謡、城南信金と4つの連で始めたものが、今では30連を超えました。子どもたちの大和東3丁目「めだか連」も55名ほどおります。
いずみ
子どもたちの踊りは可愛いですね!
当日飛び入り参加はできるのですか?
「にわか連」があります。子供でも大人でも当日参加できます。
シリウスなどで事前練習会がありますので是非お越し下さい。
7月15日には「ぞめき大和」がシリウスで開催されます。街中で踊るのとはまた違い、狭い空間でスポットライトを浴びて舞台で踊ります。
いずみ
踊る阿呆に見る阿呆、それを支えるスポンサー。皆あっての阿波踊りですね。今年の阿波踊りのテーマは何ですか?
「笑顔」です。踊り子の躍動感ある笑顔、それを見に来たお客様も元気をもらって笑顔になる、という祭りにしたいです。
いずみ
会長としてのご苦労も、笑顔が素敵な岸さんだからこそ乗り切れたのですね。
ところで岸さんの生まれは小田原、ご両親が大和に引越されて、新橋通で「金時風呂」を経営、昭和22年に「岸木工(有)」を設立なさったとお聞きしました。
先代から小田原で桶屋を経営していました。小田原でよく作られる漬物や梅干を入れる樽や桶です。沢山の桶屋がありました。「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉は、風が吹けば木が乾燥するから、良い品物ができて儲かるってことなんですよ。
いずみ
へぇ~そうなんですか。
大和に11歳の時にいらっしゃって、どのような印象をお持ちでしたか?
大きなお店にネオンサイン。東急ストアを高島屋だと勘違いしました笑 駅前の踏切は「止まれ」ではなく「STOP」と書いてあるし、全然違う世界だなと子供心に思いました。
いずみ
当時は基地のアメリカ人も多かったですしね。
岸さんは15歳からタイル屋さんに住み込みで修行に出たと聞きましたが厳しい毎日でしたか?お父様が木工所社長をやっているのに修行に出させたのですね。
昔は家族が会社をやっていても子どもをよそに出させるということはよくありました。朝早くから夜遅くまで忙しく、先輩のやる事を見よう見まねで覚えました。タイルのサイズなども感覚で覚えていきました。
銭湯から家風呂へ、木のお風呂からタイルのお風呂に変わっていった頃ですね。
いずみ
その頃は家に風呂があるうちのことを、内風呂があると言ってましたものね。お風呂が欲しいというのが庶民の夢の一つでした。
岸さんはそうやって愛情込めた「夢の場所」を作っていってくださったのですね。
そして30歳の時にお父様が急逝し仕事を引き継がれたそうで。
やる仕事は同じでしたが、親父と同年代の人ともよく付き合い、お世話になり仕事をしていきました。心配してもらえてありがたく思っています。
いずみ
いつも笑顔で温厚で、みんなに好かれる岸さん!
立派にお父様の仕事も引き継いでいったからこその、阿波踊り振興協会会長なのですね。今年で42回の阿波踊り、100回まで繋いで行きたいですね。これからも身体に気をつけてお過ごしください。