いずみの部屋

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放送テーマ

放送日
2019.10.11
テーマ
第152-153回 長谷川 賢太郎氏はさがみ水産社長・大和商工会議所副会頭です
ゲスト
長谷川 賢太郎 氏

対談内容

いずみ
下鶴間で超有名な地主の長谷川家・13代目の頭首でいらっしゃるとの事。いつ頃から歴史は始まったのですか?
長谷川
江戸元禄・大山街道沿いの宿場町として発展しました。
明治になると陸軍が東京から御殿場の演習場に向かう一泊目の宿場としてにぎわいました。宿帳によると韮山の江川太郎左衛門、渡辺崋山、東条英機、乃木希典、秋山好古など、明治の軍人が泊まりました。お土産として戦利品の大砲の玉が残っています。
いずみ
錚々(そうそう)たるメンバーですね!長谷川さんのご自宅に一度伺ったことがありますが、広い敷地に大きなお屋敷、お庭は料亭みたいで、門は立派で、普通じゃないことは知っていましたが…すごい!
長谷川
800坪の敷地です。明治初期、全国的に庭づくりが盛んとなり、流行に乗って先代が作りました。つつじは幕末のものと聞いています。
いずみ
素晴らしい歴史ある邸宅を守ってください!長谷川さんは昭和18年に大和で生まれ、大学で東京に行き、就職はなんと落語家のマネージャー、付き人になったとか?
長谷川
(笑)勉強好きじゃなかったので。ラジオ関東の人の口利きで、立川談志の付き人になりました。北は盛岡から南は九州まで、全国興業とキャバレーまわりです。旅役者の道中みたいでした。
歌手の青木幸一や天地総子、落語界では笑点でおなじみの歌丸・円楽など、毎晩帰りは夜中の3時、出社は10時で身体ボロボロで!昭和43年8月に大和に戻ってきたわけです。
いずみ
いろいろな体験をなさったから今の長谷川さんがいらっしゃるのですね。
24歳で大和に帰ってきてから、農家でなくなぜ水産業をしたのでしょうか?
長谷川
その時代、農地を何もしないでおくと、全農に取られてしまうので、田んぼの土地を利用して水産業をおこし、鯉や金魚の商売をしました。大変でしたが、全国の取引先の方々と仲良くなり、東大阪・新潟・高松・名古屋と全国を回っていました。
いずみ
それが現在の「さがみ水産」の基となったわけですね。
噂によると羊やヤギも飼っているとか?
長谷川
千葉の方で最近飼い始めました。羊は草刈りの代わりになるし、一丁歩の土地で5~6頭羊がいればすべての草を食べてくれますよ。後にはあざみのみ残っています。
えさ代は冬のみです。
これからは日本もイスラム圏の方が増えるのでヤギのミルクやチーズは需要が高まると思います。
いずみ
そうですね!将来展望に夢があって聞いているだけでも楽しくなります。
さて、長谷川さんは大和商工会議所の副会頭を6年なさっていらっしゃいますが、これからの大和に必要なものは何でしょうか?
長谷川
地域の活性化!それぞれの思いがなければやっていけません。
夢を持って新しいことにチャレンジしていかないと退化するだけです。
例えば下鶴間は昔は宿場町でしたが、今は面影もなく、さびれています。
平成17年に二条通りからライラック通りの商業活性化を図りたいと今村さんとご一緒に構想を練りました。大和は外国人が多く、ますますこの現状は増えるでしょう。
その外国人に手伝ってもらい、「異国の街」を作ることも考えています。
いずみ
76歳になっても未来的思考があり、実行力があり、「しかけの達人」ですね。その上、絵も上手で夢耕作という芸名をお持ちです。
大和に夢を耕し、作るキーマンです!
長谷川
私は農業部会を大和商工会議所に作りたいと夢を持っています。
農家は儲かりません。一人で耕し、作り、売っています。孤独です。
そこを商業と合体させるしくみを作りたいのです。
大昔から百姓はおかみから言われたことだけをやって、年貢を納めていました。その考え方から、新しい農業商法を生み出したいです!
いずみ
グッドアイディアです!お目にかかる度に私も夢をいただいて勇気があふれてきます!ありがとうございました。
健康にくれぐれもご留意なさって、内助の功の奥様にも感謝の言葉をプレゼントして下さいね♡